徳川家康のお墓はあるけれど 日光東照宮 奥社 御墓所

日光東照宮にある徳川家康のお墓を見てきました。

徳川家康の墓所 奥社宝塔

徳川家康のお墓は、日光東照宮の奥社(奥宮)にあります。

眠り猫の下を通って坂下門をくぐり、石畳と階段の廻廊を抜けると、お墓のある奥社に着きます。

階段の傾斜はかなり急です。
お年寄りや子供には少し厳しい道のりかもしれません。ご注意を。

案内によると徳川家康のお墓(奥社宝塔)は、昭和40年に公開されるまで350年もの長きにわたって非公開とされてきました。

日光東照宮は「東照大権現」という徳川家康を神格化した神様を祀った社。奥社宝塔はその神様のお墓なわけですから、おいそれと公開はできなかったのでしょう。

戦国武将 お墓でわかる意外な真実という本によると、現在の奥社宝塔は徳川綱吉によって再建されたものであり、徳川家康が亡くなった当時の奥社宝塔は木造だったそうです。

神廟(墓)は当初は木造りだったが、石造りに修築された。しかし天和三年(一六八三年)五月の日光江戸地震で東照宮は大きな被害を受け、家康の墓石も倒壊した。そこで五代将軍・綱吉が、奥宮の建造物を新たに再建し、宝塔は金・銀・銅の合金からなる唐銅製につくり替えられて、今日に至っているのである。
戦国武将 お墓でわかる意外な真実

お墓を囲うように通路が敷かれており、色々な角度から宝塔を見ることができます。

宝塔の基礎部分は、風水で縁起が良いとされる八角形です。

日光東照宮は中国文化の影響が随所に感じられます。
きっとこの八角形の基礎も風水によるものではないでしょうか。

徳川家康の遺体の行方

日光東照宮の奥社宝塔は、徳川家康の墓所とはいうものの、徳川家康の遺体があるかどうかは実は定かではありません。

徳川家康のお墓の場所は諸説あり、中でも静岡県の久能山東照宮にあるという説と、栃木県の日光東照宮にあるという2つの説が有力です。

この2つの説が有力とされる背景にあるのが、徳川家康の「遺言」です。

徳川家康の遺体に関する遺言

「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」

自分が死んだら増上寺で葬儀を行い、静岡の久能山(東照宮)に遺体を納め、三河にある菩提寺に位牌を納めよ。一周忌の後は日光に移すこと。

徳川家康が残した遺言の内容です。

遺言にある「勧請(かんじょう)」という難解な言葉が、「遺体を移す」ことを意味するのか「神として祀ること」なのかで議論が分かれているそうです。「遺体を移す」であれば遺体は日光東照宮にあるということになります。「神として祀ること」であれば遺体は日光東照宮にはないということになります。真実はどちらなのでしょうか。

個人的には徳川家康の遺体は、日光東照宮にはない気がしています。

奥社宝塔は、当初は木造りであり、その後に石造りに、さらにその後に唐銅製という変遷を辿っています。当時の技術でも最初から石造りや唐銅製という選択肢もあったはず。しかし、奥社宝塔の最初は木造りでした。これはなぜなのか。神となった徳川家康の遺体を祀るにしては、木造りは少し簡素すぎるように思えます。

徳川家康のお墓の真相は、謎多き日光東照宮の中でも特に注目を集めるものです。

現代の技術を使って日光東照宮と久能山東照宮のお墓を調査すれば、真実は明らかにできるでしょう。けれど、それをしないでほしいとも思います。

徳川家康の遺体はどこにあるのか。
あえて明らかにせず思索をめぐらせる余地を後世に残す。
それもひとつの文化財の残し方ではないでしょうか。

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