徳川家康のお墓はあるけれど 日光東照宮 奥社 御墓所

日光東照宮にある徳川家康のお墓を見てきました。

徳川家康の墓所 奥社宝塔

徳川家康のお墓は、日光東照宮の奥社(奥宮)にあります。

眠り猫の下を通って坂下門をくぐり、石畳と階段の廻廊を抜けると奥社にたどり着きます。
階段の傾斜が急なので、お年寄りや子供には少し厳しい道のりかもしれません。ご注意を。

案内板によると、徳川家康のお墓(奥社宝塔)は昭和40年に公開されるまで、実に350年もの長きにわたって非公開とされてきたそう。

日光東照宮は「東照大権現」という徳川家康を神格化した神様を祀った社。
奥社宝塔はその神様のお墓なわけですから、おいそれと公開はできなかったのでしょう。

お墓を囲うように通路が敷かれており、色々な角度から宝塔を見ることができます。

宝塔の基礎部分は八角形。

八角形は風水で縁起がよいとされる角数。
日光東照宮は中国文化の影響が随所に感じられるので、おそらく風水の影響ではないでしょうか。

徳川家康の遺体の行方

日光東照宮の奥社宝塔は、徳川家康の墓所ということになっているものの、徳川家康の遺体があるかどうかは定かでないそうです。

徳川家康のお墓の場所については諸説あり、中でも有力な説が、静岡県の久能山東照宮にあるという説と、栃木県の日光東照宮にあるという説。

この2つの説が有力とされる背景には、徳川家康の「遺言」があります。

徳川家康の遺言

臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。

自分が死んだら増上寺で葬儀を行い、静岡の久能山(東照宮)に遺体を納め、三河にある菩提寺に位牌を納めよ。一周忌の後は日光に移すこと。

徳川家康が残したとされる遺言の内容です。

遺言にある「勧請」という難解な言葉が、「遺体を移す」ことを意味するのか「神として祀ること」なのかで議論が分かれるところです。
遺体を移す、であれば遺体は日光東照宮にあるということになりますが、はたして真実はどちらなのでしょうか。

個人的な見解としては、遺体は日光東照宮にはないような気がします。

日光東照宮は徳川家康を神格化した「東照大権現」が祀られていることを考えると、奥社宝塔は我々のよく知る「お墓」ではなく、徳川家康が日光にいること(神格化されて)を象徴するための場所なのではないでしょうか。


徳川家康のお墓の真相は、謎多き日光東照宮の中でも特に注目を集めるものです。

現代の技術を使って日光東照宮と久能山東照宮のお墓を調査すれば真実は明らかにできそうですが、それを決してしないでほしいとも思います。

思索をめぐらせる余地を後世に残すのも、文化財のひとつの残し方といえるのではないでしょうか。

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